「けーし風」第22号(1999.3)「特集 モノが語る戦跡」

2015年10月06日/ 本のこと

「けーし風」第22号の特集は「モノが語る戦跡」です。

けーし風022

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特集にあたって(平良次子)

1998年6月、沖縄(南風原)で、第2回戦争遺跡保存全国シンポジウムを開催することができた。
敗戦後50年を機に、全国に残る戦跡の見直しと位置づけ作業や運動が進みつつあることの報告と、時間的な制約があったにせよ共通認識を深めるための意見交換がなされたことは成果であった。

一連のこの事業を終えて後、たまたまインドネシアを訪れる機会があった。
1998年のインドネシアでは、政府の改革を目指して立ち上がった学生たちが中心となって動き出し、永年蓄積されていた政治、経済の問題、華人問題などの矛盾が一気に吹き出した。
社会の混乱は国民を激しく動揺させていたが、あるできごとがちがう意味で私を動揺させた。

運転手の青年が、日本人の私にぜひ見てほしいものがあるといって、旧日本軍が使っていた滑走路や壕へ私を案内してくれた。
以前にもそういうことがあった。
「見せたい、見てもらいたい」といって現地の人が私のような一旅行者にていねいに戦跡を通して何かを訴えているのだ、と感じた。

「侵略の視点で」というのは多少乱暴な言い回しのような気がするが、「戦争遺跡保存全国シンポジウム」を通して、戦跡の保存をすすめることを「全国」つまり日本に限ってはいけない、「海を越えた侵略の視点」が必要なのではないかと強く思った。
太平洋戦争において日本が動いた範囲で物事を考えなければ、いくら全国各地の戦跡が一つずつ保存され、戦争について問うことを繰り返したにしても、結局守ろうとしたのはやはり(まだ)日本だけという視点になりはしないだろうか、という不安がよっぎたのである。

アジア・太平洋の戦争についての研究蓄積や掘り起こされた事実、現在残された、あるいはかつて構築された国外の戦争遺跡についてもつながっていかなければ、「全国戦争遺跡保存」の意義に、説得力を欠いてしまうのではないかと感じたのである。

今後の調査や情報交換を通して、挙げればきりがない事実が、数多く報告できるにちがいない。
そういう調査を日本(人)がやるということが大切ではないか。
そういう姿勢こそ戦後を引きずっている私たちが、アジア・太平洋地域の人々から問われている課題であり、現在を含め今後のあり方の指針になるのではないかと思う。
幾人もの人が、現地を訪れるたびに何らかの訴えを感じていることだろう。
それを記録し訴えに対して解決する、何らかの方法を組織的に考え、協力する体制をつくることが今大切ではないかと考える。
個人で調査や視察に出かけていったとしても限界がある。
あらゆる情報を集め、役割分担をしたほうが広がりも出る。
現実問題として、現在それぞれで抱えている国内の地元の戦跡保存に対する取り組みも、そう簡単ではないはずだが、戦跡を、その時代背景を含め、地理的広がりをも視野に入れていくことも大切だと思うのだ。
そういう意味で、沖縄県が計画している「国際平和研究所」や国の「アジア資料センター」にも期待したいところである。

しかし、一方でアジア各地で日本軍の足跡をたどる調査を行っている人たちの訴えに、「一億総懺悔のような考えはいかん。日本だってたくさん貢献してきたじゃないか」と怒る人がいた。
現在困っているアジアを助けたい、力を貸したい、という「国際交流」的な気持ちもとてもよくわかる。
現在アジア各地で地元の人たちと厚い信頼関係を築き、頑張っている日本人がいることにも頭が下がる。
でも、過去を抜きにして現在とのつながりや、お互いの立場やものの考え方の視点は語れないと思うので、過去の史実は決して無視しないで、確かめる姿勢でいたい。

地権者との関係など多くの問題点が山積する戦跡保存の現状だが、今回の特集では、「全国戦争遺跡保存シンポジウム」を通して高まりつつある戦跡保存の意義を考えるにあたり、アジア・太平洋の視点を考慮に入れ、各地の報告をしていただいた。
現地へ赴き、その足や目で確かめ、また感じたことから、国内の戦跡に対する取り組みと、国外に残る戦跡についての研究や、保存活動などの取り組みとを繋ぎ、その普遍性の一端を確認できればと思う。
そして、この特集を機に各個人や組織の取り組みの情報交換が続けられればと願っている。
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Posted by ブックスマングルーブ店長 at 22:00│Comments(0)
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