「けーし風」第10号(1996.3)「特集 島のゆくえ・魂のゆくえ」
2015年10月04日/ 本のこと
「けーし風」第号の特集は「島のゆくえ・魂のゆくえ」です。
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特集にあたって(安里英子)
私は今、小浜島の民宿にいる。
布団と小さなテーブル以外には何もないガランとした部屋で一人ペンをとる。
九〇年の夏にも、リゾートと島のくらしを取材するためにこの民宿に投宿しているが、あのころとちっとも変わっていない。
リゾートといえば、島にはすでに一七年前に他にさきがけて"はいむるぶし"という大型のホテルが建設されている。
それに加えて、前回訪れたとき、造成中だったもう一つの大型リゾート"キャロット"もすでに完成し、分譲別荘として売り出し中である。
だが、今日の金融不況のおり、物件は動く様子はない。
そのような中で、島の人びとはサトウキビを唯一の換金作物としているわけだが、それも労働力の減少や農業構造の変化で思うにまかせない。
このままいけばこの先、島にある唯一の製糖工場の存続さえ危ぶまれるという。
石垣島のほうでも現在、パイン工場の存続の問題で揺れており、そぞれぞれの島が今、さまざまな課題をかかえて悩んでいる。
とはいっても小浜では、家々を訪れると、必ずといってよいほど女性たちがプー(苧麻[ちょま])を紡いだり、機を織っている姿を目にする。
豊年祭の準備もある。
ここでは、まだ手作業と祭祀(祈りの姿)が存在している。
つまり、外の様子がどう変化しようと自らの根(生活や意識の深層)は変わらないという力強さがある。
自前のものをまだ喪ってはいないのである。
さらに、小浜島で私の心を明るくしたのは、平田大一さんとの出会いである。
『南島詩人』という本を自費出版した彼は、いわゆる伝統の中から生まれた"新しい人"である。
平田さんは今年の製糖期に「キビ刈り援農塾」をやり、全国に呼びかけたところ二週間で延べ二六九人が集まった。
平田さんは、那覇や本土の各地で舞台に立ち、島に帰ると家業の民宿を手伝って観光案内をし、キビを作り、青年会活動をする。
彼は竹富町の青年会事務局長でもある。
平田さんは「小浜はアジアのテンブス(へそ)である」と言うが、この言葉を小浜島でかみしめるとき、そのすごさがわかる。
明るく軽やかな行動力。
この人なら、重くのしかかる島の課題を、仲間と共に解決していくだろう。
今号の特集「島のゆくえ・魂のゆくえ」を企画したのは、実は去年の秋ごろであった。
すでに米兵による「少女暴行事件」は起きていたと思う。
しかしながらその時まで、自立とか独立というと、今どきとか、久々だねと言われたものである。
つまり、八〇年代にあれほど盛んに論議された「自立・独立論」は、九〇年代に入るとすっかりなりをひそめた。
ところが、この間の一連の動きの中から、さまざまな場所、あるいは人々の口からふたたび「自立論・独立論」が語られるようになった。
したがって、この特集もタイムリーなものになったのではないかと思っている。
私は、自立の問題を考えるとき、第一に重要なことは、私たちの魂の問題、意識の問題であると考えている。
一見、沖縄だけの特殊に見えるウタキ信仰も、その祭祀の中身をじっくりみていくと、実は、人類が共有することのできる、根源的な生命観や宇宙観を語ったものであることに気づく。
しかも、それが他では消え、あるいは変容して見えにくくなっているのに、この琉球弧ではまだよく視ることができる。
私たちは、それを手がかりにして、基層(根源)に還ることができるのである。
ただ、今、私たちに課せられているのは、伝統的表現だけではもはや私たちの多様な精神活動を充足させることはできなくなっており、その根源性、生命観をどのような形で新しく表現していくかということである。
第二は、どうやって島々で生産し、食べていくかという問題である。
それで今回の特集にあたっては、この両輪を意識したのだが、なにぶん紙幅も限られており十分ではない。
あくまでも序の序であり、今後の論議を期待したい。
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特集にあたって(安里英子)
私は今、小浜島の民宿にいる。
布団と小さなテーブル以外には何もないガランとした部屋で一人ペンをとる。
九〇年の夏にも、リゾートと島のくらしを取材するためにこの民宿に投宿しているが、あのころとちっとも変わっていない。
リゾートといえば、島にはすでに一七年前に他にさきがけて"はいむるぶし"という大型のホテルが建設されている。
それに加えて、前回訪れたとき、造成中だったもう一つの大型リゾート"キャロット"もすでに完成し、分譲別荘として売り出し中である。
だが、今日の金融不況のおり、物件は動く様子はない。
そのような中で、島の人びとはサトウキビを唯一の換金作物としているわけだが、それも労働力の減少や農業構造の変化で思うにまかせない。
このままいけばこの先、島にある唯一の製糖工場の存続さえ危ぶまれるという。
石垣島のほうでも現在、パイン工場の存続の問題で揺れており、そぞれぞれの島が今、さまざまな課題をかかえて悩んでいる。
とはいっても小浜では、家々を訪れると、必ずといってよいほど女性たちがプー(苧麻[ちょま])を紡いだり、機を織っている姿を目にする。
豊年祭の準備もある。
ここでは、まだ手作業と祭祀(祈りの姿)が存在している。
つまり、外の様子がどう変化しようと自らの根(生活や意識の深層)は変わらないという力強さがある。
自前のものをまだ喪ってはいないのである。
さらに、小浜島で私の心を明るくしたのは、平田大一さんとの出会いである。
『南島詩人』という本を自費出版した彼は、いわゆる伝統の中から生まれた"新しい人"である。
平田さんは今年の製糖期に「キビ刈り援農塾」をやり、全国に呼びかけたところ二週間で延べ二六九人が集まった。
平田さんは、那覇や本土の各地で舞台に立ち、島に帰ると家業の民宿を手伝って観光案内をし、キビを作り、青年会活動をする。
彼は竹富町の青年会事務局長でもある。
平田さんは「小浜はアジアのテンブス(へそ)である」と言うが、この言葉を小浜島でかみしめるとき、そのすごさがわかる。
明るく軽やかな行動力。
この人なら、重くのしかかる島の課題を、仲間と共に解決していくだろう。
今号の特集「島のゆくえ・魂のゆくえ」を企画したのは、実は去年の秋ごろであった。
すでに米兵による「少女暴行事件」は起きていたと思う。
しかしながらその時まで、自立とか独立というと、今どきとか、久々だねと言われたものである。
つまり、八〇年代にあれほど盛んに論議された「自立・独立論」は、九〇年代に入るとすっかりなりをひそめた。
ところが、この間の一連の動きの中から、さまざまな場所、あるいは人々の口からふたたび「自立論・独立論」が語られるようになった。
したがって、この特集もタイムリーなものになったのではないかと思っている。
私は、自立の問題を考えるとき、第一に重要なことは、私たちの魂の問題、意識の問題であると考えている。
一見、沖縄だけの特殊に見えるウタキ信仰も、その祭祀の中身をじっくりみていくと、実は、人類が共有することのできる、根源的な生命観や宇宙観を語ったものであることに気づく。
しかも、それが他では消え、あるいは変容して見えにくくなっているのに、この琉球弧ではまだよく視ることができる。
私たちは、それを手がかりにして、基層(根源)に還ることができるのである。
ただ、今、私たちに課せられているのは、伝統的表現だけではもはや私たちの多様な精神活動を充足させることはできなくなっており、その根源性、生命観をどのような形で新しく表現していくかということである。
第二は、どうやって島々で生産し、食べていくかという問題である。
それで今回の特集にあたっては、この両輪を意識したのだが、なにぶん紙幅も限られており十分ではない。
あくまでも序の序であり、今後の論議を期待したい。
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Posted by ブックスマングルーブ店長 at 18:00│Comments(0)