「けーし風」第2号(1994.3)「特集 沖縄戦の〈語り〉と継承」

2015年10月02日/ 本のこと

「けーし風」第2号の特集は「沖縄戦の〈語り〉と継承」です。

けーし風002

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特集にあたって(屋嘉比収)

「沖縄戦の継承と反戦意識の形成」という論点が、新沖縄フォーラム『けーし風』第1期2ヵ年間を貫くテーマの一つである。
そのテーマを前提にして企画された本特集は、沖縄戦の継承におけるその〈語り〉に焦点をあて、体験者によって沖縄戦が〈どのように語られたか〉、また非体験者は沖縄戦を〈どのように語ることができるのか〉というモチーフで編まれている。
その背景には、沖縄戦の語りにおける〈変容〉、という認識が存在する。

次の数字が示す事実は、沖縄戦の継承という問題を考えるときに、決定的な意味をもっている。一つは、「復帰」前後を境にして、沖縄戦非体験者が県人口の過半数を越え、現在は総人口の7割を越えていること。
もう一つは、1980年代後半に、米軍占領下さえも体験していない「復帰後世代」の人口が、戦争体験者世代のそれを越えたこと、である。

戦後50年を向かえようとする今日において、沖縄戦の語りと継承を考えるさい、この数字の示す意味を無視して論じることはできない。
なぜなら、この数字は、沖縄戦の継承において私たちが無意識的に前提としている、体験者が非体験者に沖縄戦を語る構図それ自体が、今後成立し得ないということを表しているからである。
それは、この構図に則っていたこれまでの沖縄戦の語り、あるいは語り方そのものが、おのずから変容せざるをえないことを示すものである。

本特集では、このような沖縄戦の語りの変容という文脈で一つの対象として、吉田司著『ひめゆり忠臣蔵』に触れている。
この本に対する評価は、特集の文章をご覧いただければわかるように様々である。
編集会議では、それを取り上げること自体に強い異論もあった。
しかし、この本に対する沖縄とヤマトとの反応の違いや、それを取り巻く時代状況の変化などについては考察に値すると考えた。

例えば、この『ひめゆり忠臣蔵』に対し沖縄とヤマト、そして沖縄の世代間において反応の違いが存在する。
ひめりゆ関係者の反応は今のところ批判の意味を込めながらであろうか静観しているようだが、それとは対照的に、本土のジャーナリストや沖縄の復帰後世代の中では、それに対する評価の声が以外のほか多い。
聞いたところによると、在沖の本土紙編集者たちのある会でこの本が話題となり、評価する声が多く聞かれ、なぜ沖縄側からこのような本が書かれなかったのか、ぜひ書かれるべきであた等の声が多くあったと言う。
そのような様々な反応に、沖縄戦に対する現在の、各々の認識の一端が照らし出されているといえよう。

その意味も含めて、この本は、復帰直後に渡嘉敷島の「集団自決」を対象にして書かれた曾野綾子氏の『ある神話の背景』と対比することによって、その特徴がより浮かび上がってくるように思う。
もちろん、両者の間では、その書かれた内容や手法そして記述のスタイルに大きな違いがあり、安易に比較できないという指摘もあろう。
しかし、その両著書に対する読者の反応の異動は、その背景にあるほぼ20年という時代状況の変化を考慮に入れたとしてもたいへん興味深く感じる。
とりわけ、『ひめゆり忠臣蔵』に対する本土ジャーナリズムの一部にある肯定する声と、沖縄における復帰後世代の「自分たちの感じていたことと重なる部分もあり、全面的に否定できない」という声は、『ある神話の背景』に対する否定的な反応とは著しく異なっている。

その異動の詳細な分析については今後の課題であるが、ここでは次の一点だけを指摘しておきたい。
それは、沖縄戦における〈事実性〉と〈語り〉という問題である。

沖縄戦に関する研究は、70年代中頃から80年代にかけて、村落や字全体の悉皆調査に象徴される市町村史の戦時体験記録により飛躍的な拡充と蓄積がもたらされた。
それは、『ある神話の背景』での『鉄の暴風』の〈事実性〉に対する批判を一つの契機として、その後の沖縄戦研究が、沖縄戦の〈事実性〉の究明に力を注いだためだといえよう。
今日では曾野氏の議論は、沖縄戦の〈事実性〉という点で、ほぼ否定されている。

今回の『ひめゆり忠臣蔵』では、「ひめゆりの塔をめぐる人々」が対象とされ、沖縄戦の〈事実性〉ではなくその〈語り〉が批判されている。
この本の〈事実性〉を軽視した手法や取材の在り方は、一方的で決定的な問題を抱えており、その意味で取るに足りないものといえる。

しかしそのことを確認しながらも、私たちは、沖縄戦の〈語り〉の変容という文脈において、この本を問題提起として受け止め、創造的に展開すべきだと考える。

なお本特集の文章で、新崎盛暉氏は、沖縄戦はなんのために語られるのかと問い、それは「反戦反基地闘争の手段」であると指摘している。
その問いの背景には、湾岸戦争の反応にみられた沖縄の現況に対する新崎氏の批判、すなわち、「沖縄戦の継承」と「反戦意識の形成」との乖離に対する批判が存在する。
この〈なぜ、沖縄戦を語るのか〉という問いは、本特集のモチーフそのものを相対化する問い掛けであり、今後あらためて論じられるべきテーマだといえよう。
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Posted by ブックスマングルーブ店長 at 16:00│Comments(0)
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