「けーし風」第18号(1998.3)「特集 基地・自立・地域 名護の記憶」

2015年10月06日/ 本のこと

「けーし風」第18号の特集は「基地・自立・地域 名護の記憶」です。

けーし風018

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特集にあたって(輿石正)

昨年から今年にかけて、沖縄本島北部山原のまち(名護市)はとにもかくにも全国の焦点の地になった。
そのことが本土側にとってどのような問いかけとして受けとめられたは、きわめて心もとない。
軍事、とりわけ米軍基地に関して、日本国のなかには「本土」と「沖縄」の二つの分離地区があることは明確である。
そしてその二つをつなぐものが、「思いやり予算」・「特別資金」という〈金〉であることも、また明確である。

米軍基地移設の是非を問う四択「市民投票」から、なしくずし「市長選挙」まで、余震をふくめてみれば一年余のこの期間・・・。
それはさまざまな位相と角度から論議され、切り取られていくことだろう。
今回の「特集」もそのひとつにはちがいない。
位相としては〈周辺〉、角度としては〈個の変化〉にむけてみた。

"基地移設は沖縄県内において"と言い続けている日本本土政府は、余震の静まるのを使いふるした手管で待っている。
日米特別行動委員会SACOの報告に、わざわざ「最終」という二文字を加え、あたかも変更不可能の正式遺言状のごとくつきつけてくる日本本土政府。
たかが米国と日本国の軍事協定にすぎないものを、変更のきかぬ遺言状と誰が固定しようとしているか。
「沖縄」から「本土」への簡単明瞭な問いかけである。
問いを並べてみる。

(1)沖縄に住む私たちが基地はいらないと言っていることをきちんと米国に伝え、納得させなさい。

(2)その交渉人としての日本本土政府に対して、私たちは主権者として命令している。

(3)そのような付託任務をきちんと遂行するという一点において、私たちは日本国と契約したにすぎない。

(4)もしその「契約」が日本国民全体の意志であるのかどうかを確認したいなら、その一点において「国民投票」なりをしてみることをすすめる。

この「特集」を仕事としての受験期のまっただ中で編みながら、私はこれらの問いを何回も呟いた。
そして、なぜこのようなことが通じないのかといえば、そう主張してこなかったからではないか、と思った。
政治を難しくさせてはならない。
国家との契約条項を明確にしておくべきであって、いつもそこに戻る習慣を手ばなさないことだ。
「主権在民」はその習慣の別称であってそれ以上ではない。

しかし、とここで半畳を入れてみる。
民にユーモア・笑いがなくなったら歴史に対して申しわけないではないか、と。
でき悪のホモ・サピエンスだからこそ、まともだけではダメなわけで、自らと、関係というものに対するユーモアを持たねばならない。
「複眼」などと昆虫面しなくとも、この二つの眼と五体でじゅうぶん。
大股で存分に笑う。
反乱など一人で決めて一人でやっていい。
自家製の反乱の育たないところに、存分な笑いは育ってこない。
そんな半畳を入れながら、この「特集」を編んでみた。
そうでもしなかったらやってられないではないか。

今回の「特集」は、大きくわけて二部。
一部は、「反ヘリ基地・名護における中間報告」。
今回の名護市の市民運動にそれこそ最初から最後までかかわった農民・上山和男さんの私家版報告である。
思いたったが吉日、を地でいく上山さんとは親しい関係だが、今回の私家版報告はそういう親しさに寄りかかれないものが入っている。
付録的な「年表」の中に上山さんの中間報告の模様が見える気がした。

二部は、「ヘリ基地いらない二見以北十区の会」の立ち上げメンバーのうち三人の座談会。
ハチャメチャゆんたくの中から拾い集めてみたが、文章にすると私の力のなさがモロに出て味気ないったらありゃしない。
せめて、座談会の下の項目とまぜあわせて食べていただければ、なんとか食えるものにはなったかなというところ。
「辺境から撃つ」などということばも心からわいてきたが三人はとてもそんな枠にはおさまってくれない。
難儀、難儀と言ってまわったくせに一番楽しんだのはこの私。
ねむい。
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Posted by ブックスマングルーブ店長 at 18:00│Comments(0)
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